斎 行 日 時 間  祭 典 名
11月 3日 午前8時  明治祭
3日 午前10時  神事流鏑馬
午後2時
 示現流奉納奉告祭
 大和古流奉納奉告祭
15日 午前8時  霜月祭
15日 午前11時  東京別社例祭
23日 午前10時  新嘗祭・献穀献繭祭
23日  菊祭千秋楽


動画はこちらから
 笠間稲荷神社の神事流鏑馬は、稲荷の大神様に縁の深い農作物の豊凶を占うとともに、日本の伝統文化で現存する二大流派の一つである弓馬術礼法宗家、小笠原流の古義古術を保存するために行われています。今年で72回目を迎え、鶴岡八幡宮・日光東照宮と並ぶ、三大流鏑馬の一つに数えられるもので、昭和25年11月3日の文化の日に第一回目が行われ、以後笠間稲荷神社の菊祭りの最盛期でもある11月3日を恒例日として行われるようになり、毎年約2万人の観客で賑わっています。
 当日は、鎌倉時代の流鏑馬装束に威儀を正した小笠原流一門の射手及び氏子有志、古武道振興会の人々など総勢40余名が、拝殿前で、神事流鏑馬が滞りなく執り行われるように祈願した後、笠間小学校前(笠間藩弓馬訓練場跡)の全長260mにわたる道路に幅2m・厚さ20cmの砂を敷き詰めた特設馬場までの約700mを、古式にのっとり列を組んで進んで行きます。馬場では、3ヶ所(一の的:馬場元より30m、二の的:一の的より75m、三の的:二の的より75m)に設けられた、高さ2mの的に、射手が馬を走らせながら約20秒間に3本の鏑矢を射て、馬場中央にいる奉行所の日記役が、その命中度を記録し、割れ方によって来年の豊凶を占います。


今年で38回目を迎える「大和古流奉納」は、毎年当神社の「七五三」の儀式として、子供達の健康とすこやかな成長を願い、心を本旨とする礼法・兵法・華法などを奉納するものです。特に古くから魔を調伏する鳥として尊ばれているふくろうの羽を矢羽とした「降魔の矢」を射て、参拝の子供達に「降魔札」と呼ばれる厄除けのお守札を配る「降魔射礼の儀」が行われ、当流の21世当主・友常貴仁氏のご長男による弓術「陰陽射礼」と、剣術「抜刀術初発」の両儀式が奉納され、終了後には、弓術「陰陽射礼」の弓の型を七五三を迎えた子供達に体験してもらいます。大和古流奥儀秘儀「降魔射」の儀の後、縁起の「降魔札」を七五三の子供達に配ります。「降魔札」は前の晩参籠する大和古流当主自らの筆によるものです。
<降魔とは>
 古くより弓矢は魔を払い、守護の役割をはたしてきました。堀河帝が物怪に悩まされた時、源朝臣義家は三度弓の弦を鳴らして見事物怪を追い払い、再び出て来ないように白羽の矢を置いて守護としました。近衛帝・二条帝の御時には、義家の例にならい、弓矢を取らせては並びなき源頼政が警護の任につき、帝(みかど)の心を悩ませていた鵺(ぬえ)という化鳥を見事射落としました。「降魔射」は、大和古流がこの古事来歴により、代々、時代に則して七五三の儀の際に「降魔の矢」を一手用いて行ってきました。「降魔の矢」と言うのは、矢羽がふくろうの羽で、古来よりふくろうは深夜、人間の嫌う蛇やネズミなどを食することにより、魔を調伏する鳥として尊ばれています。この矢が上空を通過する事により、魔が払われてお札が「降魔札」となり、子供達の健康と成長を願う魔除けとなります。又、「献茶の儀」につきましては、二日前に御神前に葉のまま献上して、稲荷大神様に奉納の奉告をした後撤下し、それをひいて茶をたて、改めて奉納するという本来の献茶の方法により行っています。


「新嘗祭」(にいなめさい)は、宮中においてその年の新穀を神々に供え、収獲を感謝する祭儀で、全国の各神社でも新穀を神前に捧げ、祭祀が行われます。当神社では、「献穀献繭祭」(けんこくけんけんさい)と称して、明治41年に始められ、初穂米(神様に奉納する新米)の奉納と、当神社の御神饌田にて栽培した種籾の頒布を受けた人々の謝恩奉納、更に養蚕業発展が目的の献繭祭、又献穀品評会・献繭品評会が開催され、穀類約1000点・繭類約100点が出品されます。常陸農業協同組合及び茨城県中央農林事務所に審査を依頼し、11月23日には御神前において、優秀者の表彰が行われ、境内には出品物の展示も行われます。